『日暮考』

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『足跡』〜【1610】

(2010/03/19 Fri)
本ブログで旧正月に触れていた時にテレビで中国からの買い物ツアーの様子が放映されていた。日本人客がその場に居ても容姿からは区別出来ないが、買いっぷりを見れば「中国の観光客か」と一目瞭然で判る。
2月中旬以降はその様な客の光景が東京都内のあらゆる売場で見られたのではないだろうか。3,40年前の日本バブルが欧米でこの猛威を見せ付け、奥ゆかしさが特性と云われていた日本人観を大いに下落させたものである。
その様な兆候を観光地から見ていると、韓国人観光客を席捲する勢いの中国人観光客が高級一眼レフカメラを首からぶら下げ、京都の観光地を闊歩している。必ずしも団体行動ではなく、若いペアの行動も結構目に付く。リピーターに違いない。
観光地では土産物を買い漁る光景は目にしていないので目立たないが、大阪や東京での大型小売店舗では上得意先の立場で買い物をしている訳だから、売上減少の店舗にとっては「お客様は神様」以上に見えているに違いない。
本日は上海レポートのコラムニストではないが、やはり女性の視点で旺盛な中国人の買い物ツアーに危惧を感じている視点でのレポートを、参考記録しておこうと思う。

『Lサイド : 中国人の買い物ツアー(2月25日付、オリーブニュース)
テレビで秋葉原や銀座でショッピングをする中国人のツアー客の様子をレポートしていた。中国の人のそれはショッピングという言葉のイメージを破るような雰囲気があり、まさに買い漁りの様相さえあった。
秋葉原の家電売り場での店員教育は中国語を話せるということにもなるのだろうか。日本人店長さんの店内放送は流暢な中国語であり、対する店員もまたしかり。しかし中国語の習得は発音や四声の壁が厚くなかなか難しい。手っ取り早く中国人を雇用するせいか秋葉原では中国人の店員さんもめずらしくないようである。
その日の中国人のバスツアーは4台。店はこれで手一杯、もう次のバスが来ても対応しきれないとうれしい悲鳴をあげていたが、取材が小太りの中国人のオバサンに買い物の内容を聞くと「50万円の一眼レフカメラ、電子炊飯器」と答え、予算は100万円だと笑った。
しかし中国人ツアー客が押し寄せるのは秋葉原だけではない。銀座も今は中国人観光客がツアーバスを連ねる人気スポットである。やはり小太りの40代か50代のオバサンカップルに買い物に使った額を聞くと「600万円!」と高らかに笑った。
その内容はバッグが5つとか。日本のギャル風の若い女性は「100万円くらい使うつもり」と言った。前述の金額は日本人にとってもかなり高額であるが、生活水準や物価水準が違う中国人からすれば、日本人が感ずる以上に高額に感ずるはずであるから一体どういう階層、あるいは職業の人たちだろうと興味が募った。
若い女性は親の財産も考えられるが、主婦たちの外見はごく普通の田舎のオバサンの印象があったから好奇心も湧いた。以前に見たドキュメントの中国人の買い物も迫力があったが、とにかく買いっぷりが豪快である。
まるでスーパーのカートに野菜を投げ込むかのように、商品をロクに確かめもしないでぽんぽんと家電製品をカートに放り込んでいく。同じものを4個5個と買うのは親戚へのお土産だと言った。
中国人のショッピング風景に呆れるやら驚くやらしたが、しかし、日本もバブル時代に海外で同じような買い漁りをして顰蹙(ひんしゅく)まで「買った」経緯がある。ウイーンのブランドショップの店はついに日本人観光客にはブランド物を売らないと、日本人を締め出して記事になったことがあった。
日本では大阪商人が代表されるように、目ざとい商人はどこの国でもいるようだが、中国にも温州商人がいる。以前のレポートで温州商人が北京や上海の都市部の高層マンションの部屋を買い漁る様子を見た。不動産買い付けツアーバスでマンションの現場へ乗り込み、現金の束を手に不動産業者と丁々発止とやりあう。
武器は持ち込んだ現金の束と大量のまとめ買いで相手を揺さぶり、一銭でも安く買い叩く。彼らは住まいの条件に欠かせない間取りやら等には一切目もくれない。第一ロクに物件も見ない。自分たちが住む必要がないから気にしない。ひたすら立地条件と金額にこだわる。
その温州商人がバブルが弾けた中東のドバイに目をつけた。建設当初から話題のブルジュ・ハリファは2004年から6年をかけて2010年に完成した地上828メートル、160階の世界一のっぽのビルである。
本来ならば華々しくオープンをアピールするはずのこのビルは、その完成を待っていたかのようなタイミングでドバイショックに襲われた。ドバイのあちこちには建設途中のビルや施設が放置され、その様相はまるでゴーストタウンである。
もちろん不動産価格は大暴落。しかし目ざとい温州商人はそこに目をつけた。ゴーストタウンの様相のビル郡を見ると普通の人は投資を躊躇するところでも「絶対に価値がある」と踏んで「ピンチはチャンス」の定石通りに、温州商人は国外でも不動産買い漁りツアーを実施し、値切り交渉に及ぶ。
その一行は少しお腹の出っ張ったポロシャツにズボンのラフなスタイルの投資専門家が率いる。30代くらいの慎太郎刈りのオニイサンみたいな人物も黒の半そでのTシャツに黒ズボンで、そこらにお散歩に行くスタイルのツアーの7人の面々が用意した総額は30億円。度胸がなければとても出来ない不動産買いは、ほとんどギャンブル感覚と同じかもしれないと思った。
日本人もかつてバブルのころはニューヨークでアメリカの象徴とも言えるビルを買い漁り、フランスの古城を手に入れたりと、今の中国人と同じような買いっぷりを世界に披露したことがあるが、その日本は今や凋落を辿り、買い漁ったビルも次々に手放した。
バブルに浮かれ過ぎるとやがて中国も同じ憂き目に遭うかも知れないが、今や日出国(ひいずるくに)となった様相の中国人にはその姿はなかなか想像がつかないかもしれない。かつての日本人がそうであったように・・・』

経済原則で云えば、私も女性コラムニストの視点である。但し、1億と10億人の違いは想像つかない。単純に日本が5年間を浮かれていたとしたら中国はその10倍も浮かれる期間があるとすれば、どのみち弾けようが世界の脅威になる事は間違いなさそうである。
                   (2月28日)




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『足跡』〜【1609】

(2010/03/18 Thu)
バンクーバー冬季五輪に私のブログは触れて来なかったが、各種競技のルールを熟知していない事や自分自身の青春過程でスキー等、冬のスポーツに無縁で過ごしてきた事に依る関心の低さも手伝っていると思う。
テレビもニュースとしては見る程度で是が非でも中継を見るという事もなかったので、寝不足になる事もなかった。しかし、昨日の女子フィギュアスケートのフリーは昼間の中継であった事や大きな話題を呼んでいた事もあり、見ていた事になる。
昨日の早朝からフィギュアスケートの開始時間はニュースで知っていたが、12時過ぎまで何時もの私のルーティンワークをパソコンに向かってやっていた。テレビは付けていたが画面は見ず。ブログ投稿を終えて自分の昼食準備をしてテレビの前に座った時に、韓国のキムヨナ選手の演技が終わった処で大きな歓声と彼女の笑顔が映しだされていた。
満足の演技であった事を十分窺わせる雰囲気であった。評価発表迄にリプレイを流していたが、素人が見ていても完璧の演技と思った。その興奮冷めやらぬ次に演技するのが、浅田真央選手である。リンクに出るまでイヤホーンをはめて自分の世界を見詰めていた。
この2日前だったか、ショートプログラムの時は浅田選手の後がキムヨナ選手であったので、出場順の抽選とは言え、何とも神はあくまでも彼女たちを競わせようとの計らいを意図している様に思えてならなかった。
ラフマニノフの前奏曲「鐘」が始まり華麗なる演技がスタートした。冒頭のトリプルアクセスのランディングが完璧であった(素人目でも分かる)のを見て期待が膨らむ。前日まで3回転ジャンプとトリプルアクセスが同じ技と思っていた素人である。
後半のジャンプでバランスを少し崩した場面は、「これだけの減点差で順位が決まるのか」と見続けていて、「アレッ?」という場面を見てしまった。回転すべきをしなかった中途半端な演技に「何があったのか?致命的なミスではないか?」と。
その後、フィニッシュまで文句の付け様のない演技が続いた。終えた彼女の顔に笑顔はない。厳しい表情で控え席に戻ってきた。彼女自身がミスの原因をインタビューに応えたのは、表彰式が終わってから気分的に落ち着いてからの時であった。
直後のインタビューでは声を詰まらせていた。誰よりも自分で悔しさが分かっているからである。普段なら問題の無い場面でのミスであるから、演技強行も瞬間考えた様だが結果として止めたというのが、「中途半端」に見えた部分である。
浅田選手を見終えて昼食を再スタートさせた。それにしても日本の期待を全て背負い込んだ格好の浅田選手のプレッシャーはいかばかりであったろうか。これだけは本人でないと推し量れないだろう。
これはキムヨナ選手も同様だから演技の作戦の違いから導かれた結果かもしれない。技能ではトリプルアクセスを2回成功させた挑戦と、3回転ながらジャンプを完ぺきにこなし、やわらかな表現で全体を絶賛の域で纏めた評価の差というものなのではないか。
前回の冬季五輪で荒川静香選手が金メダルを得たのと同じ様な感覚を持った人も多いのではなかろうか。演技の評価はプロセスではなく結果だから、コーチの作戦も重要だ。曲によっても観衆の共感が随分違ってくる事もその一つであろう。
夜のテレビ番組で改めて、1位〜3位のキムヨナ、浅田真央、ロシェットと4位の長洲未来、5位の安藤美姫、8位の鈴木明子の演技をノーカットで見たが、どれも華麗で美しかった。安藤選手は安全策を優先した結果だろうし、鈴木選手は逆に実力以上の満足度を得た様だ。
日本の男子・女子フィギュア選手が全て8位入賞という結果は凄いレベルなんだと思い知らされる。この4,5年で選手層が随分レベルアップしたものだ。過去の冬季五輪を思い出しても上位選手の演技中の転倒が無かった事もそれを証明している。
3位のロシェット選手はショートプログラムの前日に母親が急逝するという悲しみの中でのドラマであり、4位の米国・長洲未来選手はカルメンという曲がきっと演技力を持ち上げたのではないかと思うほどの動きと高度なジャンプを見せてくれた。
銀メダルで終わった浅田選手は、自分でミスの分析が出来ている気丈な女の子だ。日本の期待の重責を果たして貰った以上は胸を張って帰国して貰いたい。国民もテレビに釘付けとなって応援したフィギュアチームからの大きな感動を忘れないであろう。
運命のライバル、浅田真央とキムヨナの活躍は日韓でのフィギュアスケートの選手層を更に厚くする効果を生み続ける。冬季五輪に縁遠かった東アジアも札幌五輪で日本の存在を高め、韓国・中国が日本を凌ぐレベルに達している。
経済成長の伝播の法則に従っている現実は、スポーツ環境の向上に直結している事を如実に物語っている。こうなると一刻も早く景気後退の状態から脱却しなければオリンピックのメダル獲得競争からも脱落しかねない。
                   (2月27日)




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『足跡』〜【1608】

(2010/03/17 Wed)
昨日の定期通院の診察で医師に“五大力さん”へ行った事と上醍醐に登った事を話した。京都在住ながらピンと来ない様な顔付きだったので、「テレビのニュースで見なかったですか?餅を持ち上げているの」と加えたら首を縦に振っておられた。
その程度だと上醍醐という醍醐山への登山に繋がらないので、私の方から概略説明した上で、「自分としては時には意識して負担を掛けてどの程度耐えられるかという事を今迄のリハビリでやって来てますが、自分でも疑問に思っているのですよ」と続けた。
珍しく通院患者が私の後に並んでいなかったので少し時間を掛けても迷惑をかけないと判断したので、疑問をぶつけてみた。これは私の生命に直結する事柄なので、今一度医師の判断を確認しておこうとの思いがあったからである。
退院1年半後位から私の判断で運動機能のリハビリを始め出したが、通院時に「どの程度体を動かしても大丈夫でしょうか?」との問いに対しては、常に「安静状態ですね」という表現での返答しかなかった。
医師の立場で私の手術と構造を知っていれば、迂闊な事も言えないという心情は分からないでもないが、何らかの目安を示して貰えれば私も安心して体を動かせるのにと思っていたので、医師に対する印象も当初は余り良くなかった。
通院時の質問は外科医が答えてくれる範疇が多かったように思うが、内科医としての限度もある事を何年か後には理解出来たが、とに角、不満を持ちながらの通院が続く。一方では本屋通いで医学書で病気の内容と看護学の書物で安定に向かう事態を学習した。
と云っても、現在より記憶が出来ない時期だったので読み終えた後は何が書いてあったのか思い出さない状態で、3ヶ月程は本屋に通った事になる。それと並行しての通院時の医師への質問だったから、内容も素人以上であった事は確かだろう。
この時の結論は、私が自分で運動能力のレベルを上げていって適時、医師に報告するというスタイルにした。無理をしているならドクターストップが入るだろうし、胸部聴診で異常の有無も分かるだろうとの判断であった。(血管ドッグも10年ほど続けた)
スポーツセンターでの運動リハビリでもトレッドミルをメインにして、歩く速度・角度を付けてのウォーキングをと、負荷レベルを上げて行った。室内だけでなく、市街地を歩く事も並行して行った。私がたまに表現する“東山コース”(清水寺〜銀閣寺)もこの頃に定着したコースである。
トレッドミルの坂道ではなく京都盆地の低い山を目指すのは自然の成り行きでもある。退院後4年目には愛宕山が登山出来た。こういう経緯を逐一、医師には通院時に報告しながらの診察となるが、感心されるのみで否定的見解は一度もなかった。
この医師にとっては、私がモデルケースであったのかもしれない。この病気はある程度高齢になっての発症例が主であるので、当事者は動きたいというよりも楽にジッとしておきたいというパターンだから、医師の診断意図とは齟齬にならない。
術後、1年後に声帯の手術で音声を得たが、左の声帯を中央で固定した状態となっているので、呼吸気道が半分塞がれた格好となった。これを如実に実感したのはプールで泳いでいる時である。
クロールで息継ぎは出来るのだが、元々気道が半分塞がれているので常に100%息継ぎ出来ていれば別だが、取りこむ量は息継ぎする度に減って行くので余計に苦しくなって25メートルが泳ぎ切れなかった。息継ぎしているにも拘わらずである。
山登りも同じで、息づかいが荒くなり息が上がるのは誰もが経験されている事だろうが、その状態で呼吸が半量しか取り込めないとすると苦しいのは当たり前だし、登坂は続けられない。おまけに心拍数が上がって心臓の送血量が増えても心臓出口からの人工血管で一定量しか通過出来ないという矛盾が生じる。
人工血管から心臓圧が解放される部分になると大きな圧力を受けて膨張する。安静時でもこの構造は一緒なので、心拍数が上る事態は血管に更に負担を強いる事になる。限度を超えれば司馬遼太郎さんの様に腹部大動脈破裂だし、藤田まことさんの様に胸部大動脈破裂となる。
解離性大動脈瘤という病名を世間に認知させたのは、有名な石原裕次郎さん。私は無名だが認知度を向上させた同病の立場である。裕次郎さんより手術部位の難易度が高かったので生命の保証は低かった。保証されたら大きな代償が待っていた。
こういう話は医師も当然承知だから、血圧を正常に保つ事が大前提となる。其れに負荷を加える事は血管の内壁を損傷するだけだから改善要素は何もない。現在、人工血管の先の膨張部分が60ミリになっている事は昨年8月に行ったMRIで分かっている。
退院後は56ミリであった事は記憶している。動脈硬化の血管であったから解離のパターンになった者としては慎重に過ごす度合いが増した事を意識しておく必要がある。医師は私の質問の解説に「その通りです」と、従来の感心する言葉を使わなかった。
意識して負荷を掛けるのはこの辺で控えようと思っている。続けて来た運動リハビリのおかげで健常者と同じ様な日常生活が確保出来てきた。度の過ぎた頑張りを抑えれば血管の寿命も延びるかもしれない。
上醍醐の登山で2稿も費やしたのは私なりの覚悟を持っての実行だったから、普通に読まれたら「大袈裟やなあ」と思っておられるかも知れません。少しの言い訳と相当量の運動リハビリを続けないと、これらが不可能であるとの同病者への警告を込めて、本日のブログを閉じる。
                   (2月26日)




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『足跡』〜【1607】

(2010/03/16 Tue)
(つづき)
登りだして暫くは比較的歩きやすい坂道が続く。20分ほど上がると行者の滝がある。この付近にお茶を接待してくれる休憩所があったのだが、今回はなかった。昨年はどうだったのかは知らないが、昨日書いた上醍醐での火災が広大な醍醐寺の伽藍からは一切の火の気を除こうという配慮からかも知れない。
薪で大釜の湯を沸かしていたから、一番目に見える火の用人である。持参のペット茶が役立った。お山での昼食時にも必要だから少しにして出発。この辺から木で作られた階段状が始まり続く。急に坂道の角度が厳しくなっていく。
登り始めてから30分ほどは喘ぎながらも足が前に出てくれていたが、そろそろ呼吸が早くなりヒィー、フーと続かなくなってきた。この日は天気予報通り春の陽気。大汗をかく事を想定してタオル2本を持って出て、登山口で1本を頭にシッカリ括りつけた。
頭部に汗が出やすいので、滴り落ちない様に巻く訳で過去の例では往路と復路に使う。お山に上ってタオルを絞るとぽたぽたと出るほどに汗が出た事を覚えているのだが、今回は未だ全体が湿るほどに汗を吸収していない。水分補給が少ないからの様だ。
前回はもう少し早く登れたような気がするが、何とも苦しい。私より年配の爺さん、婆さんと追い越され追い付き状態で何度も休憩しながら登る。後半は階段が続くので非常に堪えた。1,2度は諦めようかと思ったが、諦めるには勿体ない高さ迄、進んでいる。ゆっくりでいいや。
目安にしている稜線に辿りついたのは登り初めて1時間が経過していた。ここまで来れば点在する堂宇も同じエリアという感じなので気分は楽になる。長い5分の休憩後、昼食場所に予定している五大堂を目指す。
少しの間下りになる。歩きは楽だが、それ以上に再び登るので勿体ないなあと思いつつ進む。上醍醐寺務所が見えたら上ったも同然で、最後のひと頑張りで急坂を上り切った。小さな建物の休憩所が造られており、消防局員2,3が人警戒に当たっているのも恒例の光景である。違うのは、ここにもお茶の接待の釜と火が無い。
ここから10段ほど階段を上がると、五大堂に到着である。無事登れた事への感謝で堂内に入ってお参りする。何時もなら、お堂の前で修験者が護摩を焚いているのだが、山伏の姿はない。到着するまでにホラ貝の音が聞こえていたのは何だったんだろうか。
五大堂の空き地にあるベンチで腰を下ろし、汗を拭く。暖かい日の登山となったが、思うほどの汗は出ていない。所要時間は1時間15分。おにぎりと缶詰を食いながら思い出していたが、当初は1時間20分ぐらいで登っていたように思う。
通常なら50分ほどで登れると思うが、私の心臓機能では登れるだけで有難いと思わねばならないだろう。20分ほど休憩して、上醍醐の伽藍では一番高い場所にある開山堂に向かう。近いので5分ほどで行ける。
ここには如意輪堂もあり、共に桃山時代の重要文化財となっている。如意輪堂は舞台造りで、山上によく造営したものだと感心する程の大きな造りである。市街地を見通せるポイントが無いのと霞んでいるので、連山の様子が見える程度なので残念であった。
ここからは下山するという感覚で、お参りしていない点在の堂宇を巡る。5,6分下った所に国宝・薬師堂がある。この前で15人ほどが般若心経を唱えていた一団がおられ、一人が時折りホラ貝を吹いていた。この音が登っている時に聞こえた事になる。
『薬師堂は上醍醐伽藍の中央に位置し、850年以上の風雪を耐え抜いてきました。全体に水平感を強調した落ち着いた建物で平安後期の気風をよく伝えていますが、狭い土地に建てられているために全景をゆったりと見わたす場所がないのが残念です。』
ホラ貝=山伏という刷り込みになっているので、一般の信者が法衣を着ずにお経を唱え、ウエストポーチの様にぶら下げているのがホラ貝だとは分からない。4,50代の男女の一団だが、その横で私も拝んでおいた。
更に下ると経蔵跡の前を通り一旦、寺務所の方に戻る。ここから少し上がった所に「醍醐水」の出る祠が建てられている。“醍醐味”という“醍醐”はこの醍醐水からきていると聞いている。空になったペットボトルに入れるのを忘れたが、冷たくて実に美味しかった。
『ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所です。大師は霊感によってこの泉を発見されました。今でもこの霊水を飲むことができます。』
この場所から石段を上がって行くと清瀧宮本殿があり参拝する。『清瀧宮拝殿は室町時代の建物で、寝殿造りの手法を生かした気品ある風格を備えています。山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造になっています。』
ここから更に石段を上がって行くと西国第十一番札所・准胝堂に辿り着く。
『准胝堂の創建は貞観18年と伝えられていますが、現在の建物は昭和43年に再建されたものです。本尊准胝観音は、毎年5月18日に御開扉法要(ごかいひほうよう)が営まれるときに、前後3日間だけご開帳されます。
※2008年8月24日未明の落雷による火災により焼失しました。現在、復興に向けての作業を行っております。』
お堂の周囲は塀で囲まれているので焼失跡そのものは見られなかったが、現代建築の技術が如何にして山上の地にお堂を再建していくのかの工程を見たい位である。最初に寄った五大堂の傍の休憩所で消防署員に、「下からホースを繋ぎ合わせて山上に到達させた」と聞いた。先端に水が出てくるまで随分時間が掛かったとの事だが、大変であったろう。
さて、これで上醍醐の堂宇は巡った事になるので下山に向かう。目安にしている稜線まで行って小休止となる。5分ほどの休憩で、2時頃に下山開始である。登って来る人に「こんにちは」と声を掛ける余裕がある。往路は返事するのが辛い位であった。
石段や木組みの階段が消えると登山口に近い事を教えてくれるが、この頃には足のつま先に痛みを感じ出す。スニーカーなので仕方ない。少し厚めの靴下を履いておけば良かったと思う頃には下山し切った。稜線からは35分であった。
山に向かって一礼してから、女人堂の前の五体像に向かう。もう行列は消えていたのでゆっくり順に水を掛けてお参りする。帰路はフェンスの外側を歩き、祖師堂辺りで境内に入る。五重塔を好きな角度で撮って、金堂の方の賑わいに向かう。
奉納・餅上げが未だ続けられていたので被写体に間に合って良かった。女性が終わってから男子という順番だから、女子の餅上げは既に終わっていた。20分ほど餅上げを見ていたが、スリムな若い男子が以外と長く持ちこたえていた。
どうやら台に乗せてある鏡餅を腿辺りに乗せ、両手で台を抱え座り込んでV字バランスを取る様な姿勢でハマると、持ち続けられるらしい。スリムな男性は5分3秒まで頑張っていた。女子が90キロ、男子が150キロの鏡餅を持ち上げる。
翌日の新聞によると、女子の優勝は8分41秒。身長151センチと小柄だが「餅上げはこつと我慢。力が無くても持ちあがるのが面白い」との弁である。男子優勝は5分46秒だから、私の見ていた若いスリムな男性はいい線まで行ったという事だ。
駐車場側の土産物店で甘酒を飲んでバス停に着くと、四条河原町行きが待たずに来たので乗車。40分余り乗っているので、デジカメのモニターを見ながら醍醐寺での時間を振り返っていた。河原町で下車した時に両足のふくろはぎに筋肉痛を強く覚える。
4時半、裏寺の立ち飲み屋の椅子に座り熱燗1本をかま揚げとふきのとうの天ぷらを肴に、ちびちびとゆっくり飲む。これぞ醍醐味だ。醍醐水とは違った美味さを飲みほして帰宅の途に着く。無事帰還の物語である。(この項、完)
                   (2月25日)




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『足跡』〜【1606】

(2010/03/15 Mon)
昨日の“五大力さん”、続きが書ける事態は、誰よりも私自身が満足している事になる。いざ出陣は薄手のダウンジャケットスタイルに7年程前に100均で買った小さなリュックにペット茶とサンマ蒲焼缶、タオルにデジカメと携帯を突っ込んでの出で立ち。
気分的な準備運動の積りで四条大宮まで歩いたが、手前のコンビニでおにぎり3個、ガム・のど飴を買う目的もあった。JR二条駅から地下鉄・東西線に乗れば山科駅まで乗り換える必要はないので、そのルートに従う。
醍醐駅まで乗れば醍醐寺は15分ほど歩けば行ける距離となるが、坂道もあり準備運動よりは負担感が大きいので避けて山科駅にした。ここからだと直通のバスが運行されている筈だからとの読みは当たった。25分で醍醐寺境内の駐車場に到着。
10時半頃だったので、参拝客が繰り出すピークの時間帯になったのだろうか、参道は多くの人波で埋まった状態である。暖かい陽気が高齢者の外出を促進したのも加わっているのだろう。仁王門への参道は両側に屋台も並んでいるので縁日としての雰囲気は十分。
この日は仁王門以降の拝観は無料であるので、お参りする人も大手を振って入って行ける。という事も住民は知っているので集中するのだろう。10数年前までは常に境内へ入るのは無料であったので、何時でも気兼ねなく近所の住民は散策に訪れていた。
醍醐寺には国宝を含め、多くの文化財を所有しているので維持管理の費用もバカにならないのは信者とて承知している処であろう。私は障害手帳を提示して無料拝観させて貰えるので、有難い事と思っている。
昨日アップ分の醍醐寺のURLから入り、「境内のご案内」をクリックして貰うと私の記述する位置関係が分かり易いかと思いますので、“お気に入り”にしておいて貰って場所の確認を願えれば、行動範囲が容易かと思います。(http://www.daigoji.or.jp/garan/index.html)
因みに、境内の案内で“三宝院”をクリックして下さい。今回は上醍醐から下山して、元気が残っていれば拝観するつもりでしたが、そこまでの元気は残っておりませんでしたので、帰宅してから私も見ておきました。
『三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。
中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。』
京都は「お江戸“八百八町”」の言い回しで“八百八寺”と云われるほど神社仏閣が多い地ですが、それだけに私などは宗教対象として見るのではなく、歴史文化という観点で対処しているので、無節操な位に何処へでも出掛けている訳です。
従って、今回の“五大力さん”もその様な観点に加えて、自分のリハビリの一貫として久しぶりの登山にチャレンジしたという趣旨で記している。そういう点を含んで頂いて、先をお読み下さればと思っています。
少し寄り道となりましたが、仁王門を抜けて参道を進むと清滝宮本殿の横を通って、国宝・五重塔と金堂が対峙する広いスペースに出る。特に金堂側は奉納・餅上げの特設舞台が作ってあり、お札を授与された方が本堂で加持祈祷を受けようと長蛇の列。
この様なごった返す光景はお寺にはピッタリである。又、紅白の巨大な餅も奉納されており、それが並べてある側を通りながら、「何百人分のぜんざいが出来るかなあ」と考えるが、これこそ信者が口にして意義のあるものになるのだろう。
右手の五重塔側のスペースも土産物店のテントが並び、お参りを済ませた方の休憩所も兼ねているので、お茶の無料接待で賑わっている。快晴にどっしりと構える五重塔が、今迄見る以上に華やかな雰囲気で、庶民の信仰心を和やかに見ている様にも思える。
少し東に行った不動堂の前では護摩が焚かれ、お札を手にした人が山伏に渡し煙での加持祈祷を頼んでいる。「この様にしてお札の有難さを上げて行くのか」と、結界の外から写真を撮っておく。
特設舞台での奉納・餅上げは下山してやっていればと期待を残して更に進む。祖師堂、鐘楼、大講堂を過ぎると弁天堂の池に出る。朱塗りのお堂が池面に映えて美しい。昨年の晩春に訪れた時は工事中で水が抜かれていたので、収まりの良い風景が撮れた。
ここで一旦、境内の出口を通過する。鉄棒で作ってある回転式ドアだから慣れない人は戸惑うが、順次先の人の要領を見ているので流れはスムーズである。5,60メートル進めばいよいよ上醍醐への登り口である。その直前に女人堂がある。
『成身堂(通称、女人堂)
上醍醐への登山口にあり、昔は女性が此処から山上の諸仏を拝んだことから、通称「女人堂」といわれています。現在の本堂は江戸初期の再建といわれ、本尊には、山上の准胝観音の分身が祀られています。本堂前には山側から不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られています。』
お山に登れなくてもここまで来て女人堂へお参りして、五体の水掛像をお参りして上醍醐へのお参りの代わりとする。この女人堂の隣の建物で臨時の納経所が設けられている。山上の准胝堂が一昨年の8月に落雷により焼失してしまったからである。
西国三十三カ所観音霊場第十一番札所になっており大きなニュースとなった。私も新聞で知っており、昨年訪れた時には寺の掲示板にも詳細説明が記してあった。関連として、下記ニュースを貼り付けておきます。

『朝日新聞、毎日新聞によると、平成20年8月24日午前0時30分頃、京都府京都市伏見区醍醐にある醍醐寺から境内の建物で出火したと119番通報があり、上醍醐(同境内の一角)にある「准胝堂」(じゅんていどう)と呼ばれる観音堂約150平方メートルと隣接する休憩所約50平方メートルを全焼して午前2時50分頃に鎮火した。
毎日新聞によると、准胝堂の本尊である准胝観音坐像も焼失したとみられる。また、准胝堂は文化財指定されておらず、境内にある他の文化財等への被害やけが人はなかった。出火当時、京都府南部には雷注意報が発令されており、23日深夜に落雷の音や雷鳴を聞いた当直の僧侶が境内を巡回、24日午前0時頃に火災を発見したという。
京都府警伏見警察署及び京都市消防局は、出火原因は落雷の可能性もあるとして現場検証を進めている。
ウィキペディア日本語版によると、醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、上醍醐と醍醐山麓にある下醍醐からなり、「古都京都の文化財」の一角として世界文化遺産に指定されている。
同寺ウェブサイトによれば、上醍醐には国宝の薬師堂や清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿などが存在しており、西国三十三カ所観音霊場第十一番札所である准胝堂は876年の創建と伝えられ、1939年の火災で焼失。1968年に再建された。』

さて、それでは登山口に入って行く。時間は11時半。所要時間を計算するにはキリが良いが、プレッシャーにならなければを願うのみである。(つづく)
                   (2月24日)




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